廣福禅寺は日本の太平洋側の中心に位置する愛知県豊橋市北部の霊峰「石巻山」の山麓に広がる小高い丘にある、竹林に囲まれた自然豊かな臨済宗妙心寺派の禅寺です。

臨済宗の宗旨

お釈迦様の正しい教え(正法)をうけつがれた初祖菩提達磨大師、宗祖臨済禅師、 さらに禅を日本に伝来された祖師方、そして日本臨済禅中興の祖、白隠禅師から今日にいたるまで伝法された一流の正法を教えとし、人間が本来持っている仏性(人間性)を座禅・公案・読経・作務などの修行を通して、自覚する事を旨とする宗派です。

初祖 達磨大師

初祖 達磨大師

南インドの王子として生まれお釈迦様の教えを28代として継がれ、中国に渡り少林寺においての9年間にも及ぶ座禅で有名

宗祖 臨済義玄禅師

宗祖 臨済禅師

中国唐の禅僧で、山東省に生まれ、黄檗禅師に師事し、その家風は「喝」(怒鳴ること)を多用する峻烈な禅風であった

白隠慧鶴禅師

白隠慧鶴禅師

現在の静岡県沼津市で生まれた江戸中期の禅僧であり、悟りを完成させ、衰退していた臨済宗を復興させた

大本山「妙心寺」

京都右京区花園の地にある臨済宗最大の宗派の大本山で、現在全国に約3,400ヶ寺の末寺を有しています。
妙心寺は第95代の天皇であった花園法皇が建武四年(1337年)にその離宮を禅寺としたもので、花園法皇の師である大徳寺の大燈国師の推挙による関山慧玄(後の無相大師)を開山としてお迎えし、花園法皇が開基となり妙心寺の歴史が始まりました。
 
この妙心寺の誕生により、大応国師、大燈国師、関山禅師へと続く「応灯関」一流の禅が確立します。
その後、応仁の乱により衰退しますが、六祖雪江禅師により復興し、その4人の弟子により四派(龍泉派・東海派・霊雲派・聖澤派)に分かれ全国に妙心寺派を広めてゆきます。特に江戸中期の臨済中興の祖である白隠禅師の活躍により、現在の臨済宗十四派は全て白隠禅師の法系であり、「応灯関」一流の禅を受け継いでいます。
 
ちなみに当廣福寺は、四派の中の霊雲派に属しています。

妙心寺境内(三問・仏殿・法堂)

妙心寺境内

手前から三門・仏殿・法堂


妙心寺 法堂  雲龍図

妙心寺・法堂雲龍図

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